中央競馬のためにならない話

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臼田浩義氏が吉田豊騎手を乗せなくなったきっかけがわからない

先週日曜の東京11R・毎日王冠ブービー人気ながら3着に食い込んだハイアーゲーム号は美浦の大久保洋厩舎の管理馬。大久保洋厩舎の管理馬の鞍上となれば、愛弟子の吉田豊騎手というのが定番で、この日も大久保洋厩舎からは5頭が出走、うち4頭が吉田豊騎手騎乗でしたが、重賞の毎日王冠だけ木幡騎手が騎乗。木幡騎手も大久保洋厩舎の管理馬にはたびたび騎乗するので、それだけを捉えるとそうおかしくもないのですが、その日一日の流れからはいかにも不自然です。最初はこれはある意味勝負手なのかなあなどとぼんやり眺めていたのですが、よくよく考えたらハイアーゲーム号所有の臼田浩義氏と吉田豊騎手には少なからぬ因縁があるのを思い出しました。というか、恥ずかしながら今頃気付いたという方が正しいかと。
臼田浩義氏はご存知スペシャルウィーク号などを所有したダービーオーナー。最近でも今年のクラシック戦線を賑わしているリーチザクラウン号、昨年菊花賞2着のフローテーション号など、コンスタントに上位馬を所有しています。それとともに、冠名を用いないことも有名で、金子真人氏とともに所有規模と実績を伴った冠名を使わない2大個人大馬主、と勝手に思っています(金子氏は現在ホールディングス名義ですけど。両者の勝負服がともに鋸歯形なのは、関口房朗氏も鋸歯形を採用しているのを含め、社台関係などといった意味合いがあるのでしょうか?)。
そんな臼田氏の預託厩舎はある程度固まっていて、美浦では秋山厩舎、上原厩舎、大久保洋厩舎、清水利厩舎、高橋祥厩舎、二ノ宮厩舎あたりが現在の中心。特に大久保洋厩舎は、サイレントハンター号をはじめとしてハイアーゲーム号、モノポール号など多くのオープン馬を育て上げ、臼田氏の覚えもめでたいことでしょう。だのに厩舎所属の吉田豊騎手が乗らないのですから、異常といえば異常。サイレントハンター号は全53戦中およそ8割の42戦で吉田豊騎手が騎乗しているため、かつての関係は悪くなかったはず。なぜこのようになったのでしょうか。臼田氏所有馬の吉田豊騎手の騎乗履歴を見てみます。

馬主:臼田浩義/騎手:吉田豊 
  集計期間:1995. 6.24 〜 2009. 9.21
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年・年月    着別度数              勝率  連対率 複勝率 単回値 複回値
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1995年      0- 0- 0- 0- 0- 3/ 3    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
1996年      2- 2- 1- 1- 1- 4/11   18.2%  36.4%  45.5%     63    112
1997年      2- 2- 1- 1- 0-12/18   11.1%  22.2%  27.8%    145    108
1998年      5- 4- 4- 3- 1- 9/26   19.2%  34.6%  50.0%     66     90
1999年      3- 3- 2- 4- 3- 8/23   13.0%  26.1%  34.8%     40     48
2000年      2- 0- 2- 2- 5-15/26    7.7%   7.7%  15.4%     24     38
2001年      5- 3- 3- 1- 2-11/25   20.0%  32.0%  44.0%     74     94
2002年      7- 7- 4- 6- 3-17/44   15.9%  31.8%  40.9%     37     65
2003年      0- 3- 0- 0- 0- 3/ 6    0.0%  50.0%  50.0%      0     55
2004年      0- 0- 0- 0- 0- 1/ 1    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
2005年      0- 0- 0- 1- 1- 3/ 5    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
2006年      0- 0- 0- 0- 1- 2/ 3    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
2007年      0- 0- 0- 0- 0- 3/ 3    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
2008年      0- 0- 0- 0- 0- 1/ 1    0.0%   0.0%   0.0%      0      0
2009年      1- 0- 1- 0- 0- 4/ 6   16.7%  16.7%  33.3%    106    130
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これを見て驚いたこと、というか「あれ?」と思ったことが2つ。
一つは、絶縁だと思われた両者の関係が完全にゼロにはなっていないということです。確かにある時を境に騎乗数が激減してはいますが、全く乗っていない年はない。近3年は新馬・未勝利戦のみといっても、2004年のただ一鞍はハイアーゲーム号での有馬記念、翌年ハイアーゲーム号がダイヤモンドSで1番人気を背負ったとき及び春の天皇賞に出走したときの鞍上も吉田豊騎手です。ハイアーゲーム号の長い出走歴の中で彼が騎乗したのはこの3鞍のみではありますが、このようにたまに臼田氏の所有馬に騎乗することもあるという状態。騎乗が少ないのには臼田氏の意向が当然あるでしょうが、かといってアドマイヤでおなじみの近藤利一氏と武豊騎手ほどの絶縁状態でもない。近年の騎乗クラスが示すように、新馬未勝利くらいなら乗ってもいいよということでしょうか。よくわかりません。
もう一つは、騎乗数激減のタイミングに関してです。臼田氏と吉田豊騎手との因縁は、秋の天皇賞にて吉田豊騎手騎乗のゴーステディ号が後藤騎手騎乗のローエングリン号とともに世紀の暴走をかまして共倒れになった事件(?)がきっかけだと思われがち。しかしこの天皇賞は2003年、既に騎乗数が激減している時期で、この一戦が直接のきっかけにはなりえないのです。次の騎乗が翌年の有馬記念、と思えばこれが影響したと言えなくもないですが、年単位での騎乗数変動には関係ないはず。調べていると、サイレントハンター号の引退レースで出遅れたことがきっかけ、との説もあるようです。ただ、これも2001年、引退レースの1ヶ月後にゴーステディ号に騎乗しているうえ、翌2002年は最多の44鞍騎乗、これが原因とも考えづらい。ならば2002年の44鞍から原因を見出すしかないのですが、この年はコンスタントに騎乗しているのでわかりづらいのですよね。そんな中から多少強引でも原因を探してみます。


鞍上のファーストチョイスが吉田豊騎手である大久保洋厩舎の管理馬に絞って見てみると、同年出走した馬は6頭。シャイニンググラス号(15回出走)、イデム号(12回)、モノポール号(8回)、ゴーステディ号(8回)、セヴンスバード号(7回)、テロワール号(1回)。それぞれの2002年の鞍上は以下の通りです。吉田豊騎手以外の鞍上で示した括弧内は、当日の吉田豊騎手の騎乗動向を示します。

シャイニンググラス号:吉田豊騎手4回→中舘騎手(他場)→吉田豊騎手7回→ペリエ騎手(前日の落馬で怪我。乗り替わり)→吉田豊騎手2回
イデム号:吉田豊騎手2回→高橋智騎手(他場)→吉田豊騎手8回→高橋智騎手(他場)→抹消
モノポール号:蛯名騎手2回→幸騎手→蛯名騎手5回
ゴーステディ号:すべて吉田豊騎手
セヴンスバード号:吉田豊騎手5回→蛯名騎手(他馬)→中舘騎手(他場)
テロワール号:吉田豊騎手

モノポール号は新馬戦から蛯名騎手が主戦として騎乗しており、傾向が違うように思われますので、他の5頭についてもう少し見てみますと、乗り替わりは基本的に吉田豊騎手が乗れない事情があったときのみ。
その中で、セヴンスバード号だけが事情が異なります。蛯名騎手に乗り替わったレース、これはシンボリクリスエス号が優勝した青葉賞ですが、このときに吉田豊騎手はイングランディーレ号に騎乗。以後、吉田豊騎手が次にセヴンスバード号に騎乗するまでには3年半もの歳月を要しています。イングランディーレ号がテン乗りかつ最低人気、セヴンスバード号が5番人気であったことから、吉田豊騎手が選択したというより臼田氏の意向が反映された可能性の高い乗り替わりです。となると前走のベンジャミンSにて1番人気ながら7頭立て7着に終わった結果を問題視しての乗り替わりなのかもしれません。
セヴンスバード号と、2002年中に抹消したイデム号以外の3頭の翌年2003年の様子を見ますと、テロワール号は翌年未勝利戦に吉田豊騎手鞍上で3度出走して抹消、シャイニンググラス号は幸騎手に乗り替わって1戦して抹消、ゴーステディ号は長期休養を挟んで大西騎手に乗り替わり2戦、吉田豊騎手に戻って2戦して抹消。シャイニンググラス号の乗り替わりは京都遠征のため、ゴーステディ号の乗り替わりは吉田豊騎手が落馬による怪我で3ヶ月ほど休養していたためで説明がつきます。ただ、2003年に大久保洋厩舎からデビューしたファイトクラブ号、ドリームパートナー号、ハイアーゲーム号はいずれも蛯名騎手の手綱でデビューしており、モノポール号と併せて大久保洋厩舎の臼田氏所有馬は蛯名騎手主戦にスイッチした格好。前々から継続して騎乗している馬は許すが、新規デビュー馬は許さないという感じです。
そうすると2002年の騎乗ぶりに問題があった、と見るしかなさそう。理由の一つとして挙げられそうなのが先ほどのセヴンスバード号でのベンジャミンS。他に挙げられそうなのが、秋競馬でのゴーステディ号での騎乗です。1番人気で迎えた新潟でのオールカマー勝馬から0.2秒差の6着、これくらいなら良いですが、次走の中山での秋の天皇賞は飛ばして失速のシンガリ負け、続く鳴尾記念もやはり逃げて失速のシンガリ負け。連続の殿負けはいかにも印象が悪いです。このあたりが原因だったとしか考えられない。結局レースこそ違えどゴーステディ号がきっかけだったのでしょうか。


はっきりわからないまま、まとめてみます。

・臼田氏と吉田豊騎手は完全には切れていない。
・臼田氏と吉田豊騎手の疎遠の原因はゴーステディ号とローエングリン号とで暴走した秋の天皇賞ではない。
・疎遠の原因はサイレントハンター号の引退レースの出遅れでもない。
・疎遠となった一因は、ベンジャミンSでのセヴンスバード号の殿負け。
・疎遠となった一因は、オープン昇級直後のゴーステディ号の連続殿負け。
・臼田氏は殿負けがお嫌い?

…と、こう並べてみても決め手に欠けるんですよねえ。乗せたくない理由はデータだけではいまいちわからず、結局本人のみぞ知る、というところなのでしょうが、一般に言われているレースがきっかけではなさそうだ、ということは言えそう。それにしても乗せないのは自由ですが、調教で乗るのを許しているなら日頃の調教で癖を把握している吉田豊騎手を騎乗させた方が稼げるように思うんですけどね。他の騎手に乗せたところで、新人騎手とトップジョッキーほどの力量差があるわけじゃなし、そりゃあ騎乗停止の多い騎手ではありますが、今年は7年ぶり(!)に臼田氏の所有馬で勝利を挙げたこともあり、そろそろ和解してもいい頃なんじゃないかと思います。